私、松尾まよかの政治的ポリシーを、きちんとご説明したいと思います。
長くなりますが、ご一読いただけましたら幸甚です。
地方から世界を変える
この日本社会、そして世界のあり方が、そろそろ限界に来ているというのは皆さん、お感じになっているところではないでしょうか。
環境破壊、格差の拡大、終わらない人種差別に戦争….。
熱帯雨林は、1年間に東京ドーム127万個分が減少。
また気候変動によって、これまで見なかったような熱波、干ばつ、ハリケーン、ゲリラ豪雨が起きています。
気象庁は、このまま地球の平均気温が4℃上昇すると、関東でも真夏日が50日を越えると予測。
これが氷山の一角に過ぎないことは想像に難くありません。
2050年には世界で2億人以上が、移住を余儀なくされると言われています。食糧問題もより深刻化するでしょう。
そうした大混乱を予想し、オバマ元大統領は、気候変動は国防問題であると言いました。
日本経済も低迷が続いています。
とうとう給与所得者の4割近くが年収300万円未満という時代になりました。
子ども達が大人になる頃の世界がどうか平和であってほしいと、祈るような気持ちです。
この状況において、一人の親として、大人として、何ができるかをずっと模索していました。
企業の立場から変える、NGOなどの社会活動を通じて変える、国政から変える、、、
アプローチはたくさんあると思いますが、2019年、私が見出した解は、
「地方行政から変える」
でした。
大きな組織をいきなり変えようとするのではなくて、変えられる規模の組織から変えていく。
それをロールモデルとして、社会に示していくことが、結果として社会を動かすことになるのではないかと。
実際に議員になってみて、まさに、地方行政は国の雛形、国は世界の雛形であると気づかされる日々です。
日高市という小さなまちから、社会に風穴をあける。
これに懸けてみようと思い、現在、日高市議会議員を務めさせていただいています。
所属について
今の日高市を変えていくためには、しがらみのない自由な立場でありたいと思っています。
したがって、完全無所属です。
地方議員の場合、党員であっても「無所属」とされている方も多いですが、私は党員でもなく、いかなる政党や団体、宗教からの推薦も応援も受けていません。
国政選挙や県政選挙において、特定の候補者を応援することもしません。
国政は国政、市政は市政
なぜ無所属か?
党の力があった方が、持てる影響力もあるでしょう。それは否定しません。
ただ、党を背負っていると、国家レベルの主義主張や政策を地域住民に啓発することも当然、ミッションとなってきます。
一方で、地方議員の立場としては、国家レベルの、市政に直接影響のない論点を日高市に持ち込んで、対立軸を形成してしまうのは、市民にとって益するところがないので、避けるべきだと思っています。
地方の行政課題において、国政政党の主張の差によって判断に影響を受ける点は、極めて限定的です。
財源の多くは国政(国から地方に入るお金)に依存しており、現政権の方針に大きな影響を受けます。
それを所与のものとして、では地方自治体として何をするか、という議論において、国政の論点を持ち出すことに意味はほとんどないのではないでしょうか。
日高市の課題、例えば、人口対策、空き家対策、医療費削減、高齢者の移動手段の確保、コミュニティスクールの推進、貧困、自然環境保護…
こういったテーマに対し、日高市として具体的にどのような政策をとるべきかという議論をするときに、改憲、原発、消費税、皇室、といった国政に係る論点は、
関係ない、と言ったら語弊がありますが、国政に対する意見対立をもって、地方行政においても対立してしまうのは、あまりにもナンセンスです。
それを十分に理解されている方も少なからずいらっしゃいますが、
日高市の現状を見ると、
議会では、「〇〇党の提案には反対する」と最初から決めてかかっている様なシーンを目にします。
行政を見ても、政治的なパワーバランスの中で、少数派が主張していることには、良いことであっても消極的にならざるを得ない空気感を否定できません。
市民の皆さんにおいても、その議員の政策や実力より、あの議員は「右翼だから」「左派だから」「〇〇党だから」好きだ/支持できない、といった眼差しが、根強くあるのを感じます。
このような状況においては、建設的な中身の議論、いわゆる是々非々の議論がなかなか難しいのが現実です。
そして、政策提案よりも、票になるようなアピールに注力しないと、選挙に勝てないという事態が起こります。
まずは、この現状を変え、国政の立場を脇に置き、日高市をどうするかで熱く議論し合えるよう、議会改革を進め、議会の成熟度を上げていかないことには、日高市の将来はないと思っています。
それまでは、今の私の立場では、政党の色がつくことはおろか、国政に対する意見を表明することでさえも、誤解と対立を招きやすく、日高市にとってはあまり益がないと感じています。
以上の理由から、当面は、「国政には関わらない議員」という立場で、日高市のことに邁進したいと思っています。
レッテルを貼らないで!
それでも、松尾は右だ、左だ、リベラルだ、保守だ、…といった噂がある様です(笑)。
そういう言葉でくくってほしくないんです。
それは私にだけでなく、皆さん同士でも、そういうレッテル貼りをしないでほしいんです。
あのグループには右翼がいるから近づきたくないとか、左派が言ってることだから危険とか、、、
もうそういうの、終わりにしませんか?
そんなステレオタイプの決めつけで、私たちの大切なこの地域の、豊かなまちづくりが阻害されている現状を、大変憂慮しています。
どんな言葉も、世代によって、立場によって、意味合いも変わっていくもの。
人も、日々気づきを得て変わっていくもの。
個々の事象に対して、その都度その都度、合理的に判断していくことが、成熟した地方自治、まちづくりの基本的なリテラシー(基礎教養)だと思っています。
すべての命と尊厳が大切にされる社会へ
そもそも皆さん、目指すものは同じなのではないでしょうか。
つくりたいのは、豊かな社会、生きとし生けるものすべての命と尊厳が大切にされる社会です。
私たちを生かしてくれているこの自然を守りたい、そして、子ども達の将来が平和でありますように、という願いが、私の活動動機の源泉です。
これは、誰も同じなのではないでしょうか。
ここを立脚点にすれば、多くの事柄は、合意と協力にたどり着けるのではないでしょうか。
理念的な議論や正義の主張は、対立にしかならない
人の数だけ、国家の数だけ正義は存在します。
正義を掲げて、相手を批判したら、残るのは相手への否定的感情、恨みになります。
国家レベルになると、それは戦争へとつながります。
理念的対立、イデオロギー的な対立は、争いにしかなりません。
例えば、性自認を認めるか認めないかみたいな議論は、もはや無意味です。
LGBTQの方々がいらっしゃり、いまの社会システムでは生きづらいというのは誰も否定できない事実です。
であれば、既に起きている個別具体的な問題に対して、どう対処しうるか、という具体論において、冷静に解決策を考え、現実解において折り合いをつけていくという過程において、イデオロギーは関係ないのです。
自分には理解できないものがあるとしても、相手の正義をまず聞く。
許容できる・できないは置いておいて、現実的に協調してやっていけるポイントをぎりぎりまで探る。
論点を具体的に絞っていくことが大切です。
改憲賛成vs反対、原発再稼働賛成vs反対、メガソーラー賛成vs反対・・・
そんな総論的な議論は、対立にしかなりません。
そういった対立が固定化し、一向に建設的な議論が進まない状況が、若者の政治離れを加速化させているようにも思います。
理想を掲げるのはとても大切なことです。
理想は、希望であり、活力の源であり、議論の立脚点です。
しかし、理想を実現するためのステップをつくる段階、つまり、利益相反をいかに昇華し合意点を見出しうるかという課題解決の局面において、
理想だけを声高に主張することは、一見、分かりやすく格好よく映るかもしれません。
しかしそれは何も変えられないどころか、対立、つまりは理想から遠ざかる結果を招く、極めて稚拙な行為だと思います。
まして、地方行政においてをや…は、もう言うまでもありません。
市民によるまちづくり
私がしたいのは、市民によるまちづくりです。
国が決めて、地方がそれに倣う、というやり方でうまくいく時代は終わりました。
これからは、市民一人ひとりがまちづくりに参加し、地域で助け合い、地域を元気にしていくことで、生活の質の向上、多様なライフスタイル、危機管理、つまり持続可能で豊かな社会を実現していく時代です。
だから私は、どんな立場の方ともお付き合いしたいですし、一緒にできることを探します。
いずれのイデオロギー、宗教、団体に属する方であっても、日高市を良くしたい、そのために動きたい、という方とは、いくらでもご一緒したいと思います。
ポリシーがないとか、フラフラしてるとか、八方美人などと言われるかもしれません。
しかし、実際を見てください。
当選以来、様々な団体の設立に関わり、活動に参加していますが、いずれのチームにおいても、私から見るとかなり右寄り/左寄りの方(失礼)が、一緒に、日高市の未来をわくわくしながら考え、つくりあげていこうとしています。
市民で政策を考える「ひだか総研」、まちづくりを学び実践する「日高暮らしの研究会」改め「どんぐりの木」、持続可能な地域をつくる「トランジション・タウン高麗」、市民政治団体「マングローブ」…などなど、どの団体を見ても、
イデオロギーは違うけど、日高を良くしたい気持ちは一緒だよね、というところで、お互いを尊敬し、信頼し、助け合っています。
政治の話はちょっと…なんて空気はありません。真剣に政治の話ができるのは大事なことです。
時おり、国政の話なんかはやはり、うっかり熱くなりすぎてしまったりして…(汗)
でも、また戻る。笑う。そんな仲間達が大好きです。
これこそが健全な組織であり、多様性の尊重であり、平和をつくるための理想的なチームであると、うれしく誇らしく思っています。
地方議会の役割とは
議会の本質的な役割は、行政に対する長期的なビジョンの提示と、その実現に向けた根本的な課題の指摘、解決策の提案です。
市長は4年に一度選挙を迎え、職員は担当課を数年でローテーションするという行政組織においては、短期的な成果に向かいやすい、「お役所仕事」「縦割り」に陥りやすい力学が働きます。
長期ビジョンをお持ちの市長も全国を見渡せばいらっしゃいますが、市長がだれであっても民意を市政に反映していくのは議会の仕事です。
議会が、市民の声やニーズを聴きながら、中長期の戦略を示し、行政にそちらに向かってもらう、そして、構造的な問題を指摘し、軌道修正をしていく、ということが求められるわけです。
簡単なことではありません。
いま、専業議員として毎日、議員活動やまちづくり活動に邁進していますが、全然時間が足りません。まだまだ勉強が足りませんし、一人では限界があります。
個々の議員が強みを発揮し、力を合わせる必要があります。
地方議会は「ワンチーム」なんです。
ここは、議会の多数派から首相を選ぶ国会とは違います。
(議院内閣制と二元代表制の違いです)
地方議会には、与党・野党という概念は、本来存在しません。
そこを理解されずに、議員同士の対立に違和感を持たれない方、まして、議員が議員を批判することに拍手する方もいて、議会に混乱を招いている側面があります。
議員への批判や、行政への対案のない批判は、議員の本質的な存在意義から逸脱しているではないでしょうか。
それは何も生みません。
どうか、地方議会にプロレスを期待しないでほしいんです。
議員は政治家であり、批評家、ジャーナリストではありません。
政治とは人を動かすこと。
その土台に必要なものは、信頼です。
なぁなぁな関係ではなく、言うべきことを言い合える。
喧々諤々の議論をして、その時は折り合えなかったとしても、いったん笑って握手して、また次に!と言える関係性。
そんなふうに、是々非々で建設的な議論をし、市民をはじめ、議員からも行政からも信頼されてこそ初めて、まちを変えていくことができます。
社会課題のすべては、利益相反から生じています。
なかなか折り合えなくて当たり前。
それでもこの相反する部分を、いかに議論と対話で越えていけるか、誰もが幸せでいられる構造に置き換えていけるかが、私たち議員の最も重要な、根本的なスキルだと思っています。
お声をお寄せください!
かくいう私なんて、本当にまだまだまだまだ未熟です。
政治の途を歩き始めたばかり。
自身の未熟さ、稚拙さにうなだれる毎日ですが、
以上を自分の信念として、日々精進していきたいと思っています。
そのためにも、皆さんからのお声が何より大事だと思っています。
お気づきのことやご意見・ご相談などありましたら、いつでもご連絡ください。
SNSやメール、突然のお電話も大歓迎です。→各種SNS等はこちら
月に一回、「まよカフェ」として自由なおしゃべり会も開催しています。
定期的に活動報告会も開催していますし、また、ボランティア団体のメンバーとして日々色んなイベントを企画しています。
毎月のお知らせは、メールマガジンまたはLINE@にて配信しています。
ぜひお気軽にご参加ください。
これからも、市民の皆さん、一人ひとりと出会っていきたいと思っています。
後援会について
ご共感いただける方は、「松尾まよか後援会」にぜひご入会お願いします!
→詳細はこちら