当選させていただいて、早一年がたちました。
コロナ禍の混乱で、なかなかゆっくり振り返り文字にする機会を持てずにいましたが、ここで、改めて皆様に、きちんとご報告していきたいと思います。
今日は、この一年、私の見てきた日高市議会、一人会派になるという決断、それから見えてきたもの、を書いてみました。
ご一読いただければ幸いです。
議員生活は衝撃のスタート
2019年5月、初の議会、理想に燃えて、不安と希望を胸に登庁しました。
先輩議員達は日高の未来をどんなふうに構想しているんだろう?私の考えはどんなふうに受け止められるだろう?どんなふうに議論していくんだろう?
しかし、私の目の前に起きた現実は、そういう種類のものではありませんでした。
保守派と呼ばれる多数派議員と、私が所属した会派の深い断絶。
良かれと思って提案した事項は即却下。
議会のたび、私の所属会派議員のFacebookへの投稿や、会派通信の内容や表現が適切かどうかといった、日高市の行政とは直接関係のないことの方に多くの時間が割かれていました。
ここまで対立が深くなると、会派を超えた建設的な議論はほとんど出来ません。
そうすると当然ながら、法に基づいて多数決で物事が決まる議会では、私は何を主張しても議論の俎上にも乗りません。
最終的には全議員が賛成したメガソーラー開発規制条例についてですら、当初から反対運動をしていたにも関わらず、多数派議員と事前に協議することは叶いませんでした。
日高ではこの状況が16年続いているということを知りました。
私は、議会の内部で何かをすることを半ば諦め、議員個人として出来ることにフォーカスし、市民に行政参加を促していくことや、執行部(役職員)と直接やりとりしていくことに注力するようになりました。
市民は対立を求めていない
議員同士の建設的な議論が成立しないのはなぜなのでしょうか。
根本的には、議員同士の信頼関係の有無なのではないかと感じています。
主張や立場が違えど、互いを尊敬し合いながら議論を戦わせる。
そういった議論の土台となる関係性を構築できていないことの虚しさを、議会でのやりとりを通じて痛感しました。
選挙に立候補したとき、街角でお会いする方々から、この対立構造に入らないでほしいと懇願されることが何度となくありました。
当時はピンと来ていなかったのですが、その意味が今ではよく分かります。
対立の原因はどこにあるのか。
私は客観的に論じられる立場にはありませんが、個人としての想いを書きます。
結果に責任をもつ
書籍「職業としての政治」をご存じですか?
経済学を学ばれた方なら、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」はご存知だと思います。
同じくウェーバーの著書で、政治家必読の書の一つと言われています。
本書では、政治家の「倫理」を2種類に分けて論じています。
- 一つは「信条倫理」。
結果よりも、動機の正しさ(不正に対する義憤心)と行為を行うこと自体を重視する。
結果が出ずとも、自身の行為は動機の正しさをもって正当化される。 - もう一つは「責任倫理」。
動機よりも結果を重視し、先を読んで方策を練る。
行為の結果は自分の責任として引き受けようとする。
両者とも必要であるが、これらは自己の中で必ず対立するものであり、政治家である以上、後者を強く持つべきであると、ウェーバーは述べています。
これを読んだとき、まさに、私の葛藤が言い表されていると感じました。
自身の中の正義、と言いますか、これが正しいと言う軸、それがあるのは大切なことです。
しかし、それが理解されない場合には相手がおかしい、と決めつけてしまう態度では、議論は成立しません。事実さえ見誤ります。
政治家の「結果」とは、他者を動かせたかどうかです。
正義は立場によって異なるもの、正義の反対側には別の正義がある、という事実を前提に、自分が間違っているかもしれないと自ら疑い、指摘を聞き入れる態度を持ち続けなければ、他者の扉を開くことは難しいでしょう。
議員の諸先輩方や、市役所職員の方々からも、「色んな人の意見を聴いた方が良い」といった忠告を何度となくいただいていました。
つまり、私は議員として一方向からの意見しか聴けていないというフィードバックなのだと受け取りました。
実際、他会派の方々との対話を通じて、それまで認識できていなかった様々な事実や捉え方があることに気づくことは多くありました。
これまでの自分の浅はかさを恥じ、お詫びせざるを得ないと感じたこともありました。
この経験をもって、私は一人会派になることを決めました。
積年の関係性と離れたところで、松尾まよか個人として、行動し、評価いただける立場に立ちたいと思ったからです。
それが、「しがらみなし」を大きくうたった新人、松尾まよかに一票を投じてくださった皆さんからの期待に応えることだと考えました。
私は、これまでの16年の間に何があったのか、聞き伝えでしか知りません。
両派それぞれの見え方があり、合理性があるのだろうと思います。新人に過去の何が分かるというご指摘もあるかもしれません。
ただ、私の立場で今やるべきことは、この16年の延長線上で行動することではなく、今いる議員達と、未来を語り、理想を追求することだと思うのです。
ここから再スタート
一人会派「水と緑の会」を立ち上げたのは、以上の理由です。
青臭いと言われるかもしれませんが、ここから再スタートと思っています。
今のところ、他の議員の方々から温かく見守っていただけていると感じています。
率直に疑問や意見を述べても、受け入れてくださいますし、実際にいろいろな取り組みを行うことができています。
もちろん、各会派には各会派の流儀があり、まだまだ不思議に感じることや、思い通りにならないと感じることも無くはありません。
しかし、そういったものも、理解していきたいと思っています。
そうしていくうちに、実は合理性があったと気づくこともあるでしょうし、やはり変えるべきところは変えるということもあるでしょう。
目下、会派を超えて注力している取り組みは、災害対策です。
今回のコロナや、さらには今後やってくるであろう大型台風や地震、コロナ以上の感染症の流行という危機的局面においても、議会機能をどう維持するかに向けた対策を協議しています。
外出自粛要請下においても、連日連夜、オンライン会議を駆使しながら、率直に意見を戦わせることができているこの状況は、私にとってはこれまでにない、嬉しくやりがいのある、充実したものになっています。
なお、令和元年度3月議会にて「田中まどか議員への議員辞職勧告決議」において退席しましたように、従来の対立構造において生じる議論については、今後も関与いたしません。
これは、この対立自体に対する私からの疑義の表明です。
近いうちに、この対立構造が解消され、日高市の未来に向けて、全議員が厳しく切磋琢磨できる議会になるよう、願ってやみません。
最後に
旧会派を離れるまでご支援をくださっていた方々を、失望させてしまった部分があるかもしれません。
その点は非常に申し訳なく思っています。
今回会派を離れるにあたっては、後援会の幹部の方々に、私自身が感じている違和感、本当にやりたいこと、大切にしたいこと、は何度もお話させていただいて、ご理解いただけていると思っています。
会派代表とも、何度も話を重ねました。結果、お互いが目指す日高市像には大きな差はないこと、でも、それを実現するための方法論に違いがあると結論されました。
私を政治家として送りだしてくださり、1年間、力強く応援し続けてくださったことには、本当に感謝しかありません。
今後も、私の立場でご協力できることがあればと強く思っています。
最後に繰り返し申し上げておきたいのは、私、松尾まよかが実現したいと思っている日高市の未来像にまったく変化はない、ということです。
議員として「結果」を出すために、手段としての会派を変更したのみです。
この点によって、今まで私の主張に共感くださり、一票を投じてくださった方のご期待を裏切るつもりは一切ありません。
あくまで、ご期待にそうために、今後も活動して参りますし、その手段としての会派は、今後も状況に応じて変更する可能性を否定しません。
少子高齢化、気候変動による大型台風やコロナの流行、従来の経済システムの行き詰まり、、、この地方行政の力が大きく問われる重大な局面に、議会に送りだしていただいた重責を感じ、今後も、皆さんのお力を借りながら、結果を出せるよう、全力で取り組んでまいります。
どうか、今後ともご支援ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。