議案その他

「田中まどか議員への議員辞職勧告決議」について | 令和元年度3月 日高市議会

昨日3/25の文化新聞(←飯能日高の地元紙です)に掲載された、田中まどか議員への議員辞職勧告決議についてです。

日高市議会最終日3/17の本会議において、吉本議員が提出した議案、「田中まどか議員に対する議員辞職勧告決議について」が、賛成多数で可決されました。

田中議員のフェイスブック等における情報発信が、「日高市ソーシャルメディアの利用に関するガイドライン」に違反しており、このような発言を繰り返す田中議員には議員としての資質に欠ける、したがって辞職を勧告するというものです。

今回、この動議が提出されるきっかけとなったのは、田中議員の予算審議を終えての投稿

私の隣の席の議員は予算書すらめくらず、私が質疑すると『早く終わらせてくれよ』と言うのでした。10時から3時近くまで何もせずに座っているのは、それはお辛いことでしょう。
https://www.facebook.com/madoka.tanaka.140/posts/2054454571367400

と、ある議員の姿勢に対する非難を含む記事でした。


私は、この議員辞職勧告議案について、採決では退席(賛成/反対はせず、議決権を放棄すること)しました。本件に対する、私の考えをここに述べたいと思います。


議員の情報発信の在り方については各議員様々に考えをお持ちだと思います。これが正解というものは当然ありません。

従って、あくまで私個人の考えではありますが、私は、議員個人の「姿勢」に対する非難になりうるような情報発信は、極力すべきでないと考えています


第一に、「姿勢」というのは、きわめて主観的なものです。

ある一場面における議員の振る舞いが、たとえ自分の信条とは相容れないものに見えたとしても、それを理由に非難することは良いことなのでしょうか。

それぞれ、一側面からは捉えられない様々な考えがあり、それは他者が把握できるものではないはずです。

それでも批判が必要と考えることもあるかもしれません。
その場合は、熟慮の末の、節度ある表現であってほしいと感じます。

市民の付託を受けた議員としての尊厳は、互いに尊重し合いたいものです。


第二に、仮にある議員の姿勢が不適切なものに見えたとして、その議員の姿勢を批判し、もし改善できたとしても、それが本質的な解決にはならないと考えるからです。改善すべきは、議会の構造・ルールではないでしょうか。

これまで問題となってきた田中議員の情報発信の多くは、議会(委員会)において質疑をする議員が少ないといった非難です。

では、なぜ少ないのか。
その理由を、議員個人の姿勢に求めるのは、私は適切だとは思いません。

多くの議案は、議会に出された段階では、既に所内はじめ多方面の調整・決裁を経て来ています。
その段階で、質問や疑義を呈しても、よっぽどのことが無い限り、覆ることはありません。

自分が特にこだわりのある分野の議案に対しては、質問の形を取った意見表明を当然したくなりますが、議会にかけられた段階では、実質的にはもう遅い場合がほとんどです。

私も一般企業に勤めていた頃は議案を提出する側でもあったので、これは当然のこととして理解できます。

自分の提案を練りに練って、それを通すためには、周囲と何度も調整し、いくつもの決裁を突破するわけです。

議会は、その決裁の最終局面です。
その段階で簡単にひっくり返されるような提案が出ることは、そうそうありません。

議員として行政を動かすためには、(基本的には)議会にかかる前が勝負です。
ですので、特に力を入れて取り組んできた事案ほど、議会の場では今さら質問することはない、ということもあり得ます。

そういう背景が、議会で質疑や討論が少なくなる理由の一つだとは思います。
(特に与党系議員は、今さら感が強いのではと推察します。)
(ちなみに私は今回の予算委員会では一度も「質問」していません。その理由は別途また書きます。)


もちろん、だからといって、議会において議員はただ黙々と賛成すればよい、と言っているわけでは全くありません。

議会の前段階のやりとりは、市民には見えませんし、記録にも残らないので、あえて質問しておくという考え方もあるでしょう。

また、前段階ですべて調整済みな状況が過度に進めば、議会があまりに形式的になりますし、議員同士の本質的な議論も起こりにくいでしょう。

この点は、多くの古い体質の企業が業務改革をしているように、議会も議会改革を進めて解決すべきです。

話を元に戻すと、議員として、批判し変えていこうとするべき矛先は、こういった議会の構造やルールであり、一議員の姿勢・資質ではないと思うのです。


問題提起されている一連の情報発信が、辞職勧告をするような事態かというと、疑問は残ります。今回の決議文には、違和感のある記載もあります。
ただ、これまで日高市議会では、何度も類似の決議を繰り返しており、提議した方々の心情も理解できなくはありません。

何より思うのは、こうして議員間の分断が進んでしまうと、議員間で本来行うべき本質的な政策の議論がなされにくい議会になってしまうということです。

それは、市民の利益になるのでしょうか

この分断は、日高市議会において既に10年来に及んでいると聞いています。
もう止めにしたいと思っています。

これは田中議員とも話し合ってきたことです。
議員同士が、健全に議論を戦わせられる関係性を築いていけるよう、今後も努力していきたいです。


以上の観点から、本議案は、退席とさせていただきました。


最後になりますが、作家の玄侑宗久さんが「表現は常に行き過ぎる」と言っていました。

現実は常に複雑であるのを、分かりやすくシンプルにするために、事象をそぎ落とし、なるべく明確な物言いをしようとする、すると時にはそれが行き過ぎて、本人の意図を超えた表現になることもあるということだと思います。

このブログも、「行き過ぎた」表現になっていないか、自問自答しながら書いていますが、正直自信はありません。

今後も自分への戒めにしたいと思います。


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記事を書いた人

日高市議会議員無所属松尾 まよか
大好きなまち日高に永く住み、豊かな自然のなかで子育てをしていきたい。

私は、この日高が世界一好きです。2015年、東京都心から日高市に移住。都内では体験できなかった日常を楽しんでいます。

これまで国内外諸国に滞在してきましたが、日高ほど暮らしやすい土地はありません。都心へのアクセス、美しい里山と清流、それを大切にしていきている人たちとの温かいつながり・・・。

ここで、いつまでも心地よく安心して子育てをしていきたい、そう願っています。

本当の「豊かさ」とは何か?

日高でかたちにしていきたいと思います。

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  1. By シモダ ワタル

    まどかさんのSNS投稿は、市民の皆さんが選んだ議会議員の本当の姿・真実を伝えているだけだと思います。批判しているとは思いませんでした。
    確かに議員間の信頼関係があってこそ、対等な立場で議論し合い、その結果良好な市政を創り上げることが可能になります。そうあって欲しいです。
    ただ、市民の皆さんには議員の本当の姿、考え方を知ることは出来ないと思います。
    議会に傍聴に行けない市民へ、議員の中にはこういう方が居て、この様な考え方をしてます、と真実を伝えているだけだと思います。
    予算書の中味を再確認し、どんな質問をするのかな?と議員間で疑問を共有しながら議員席に座っている方々が、市民の代表である議員の姿だ、と私は思っていましたし、これからもそうあって欲しいと望みます。

    • 松尾 まよか

      コメントありがとうございます。

      私も、「真実」や「本当の姿」を伝えることは、基本的には問題ないと考えます。

      そのように書いているつもりですが、誤解をあたえる文章になっていたら、申し訳ありません。

  2. はじめまして。言論の自由を侵す埼玉県日高市議会の辞職勧告決議撤回を求めるインターネット記名を呼び掛けた、元荒川区議会議員瀬野喜代です。
    あなたの退席した理由がよくわかりません。田中議員が他の議員の予算委員会への姿勢を批判していることがよくないからと記されています。議員の仕事である審議にやる気を示さない議員を批判するのは良くないことと私は思いません。
    それよりも、選挙で市民の付託を受けた議員を同僚議員がやめろと言うことが異常です。辞職勧告は犯罪が確定したのに居直って辞職しない場合ぐらいしかあり得ないはずです。田中議員がFBに書いたことは事実と感想であり、何が問題なのでしょうか。決議文には、田中議員の行為の何が、ガイドラインに抵触しているのかの記載もありません。
    議員の広報活動が原因で辞職勧告決議を行う日高市議会の異常さを真剣に考えてみてください。
    今現在、760人を超える人々が、決議撤回にインターネットで賛同を表明しています。撤回に尽力をお願い致します。

    • 瀬野様、
      オンライン署名のサイトで、お名前を拝見しておりました。
      この度は、日高市議会にご関心をお寄せくださり、ご尽力いただき誠にありがとうございます。
      今回の議案については、まだ1年足らずではありますが、私が経験して参りました日高市議会の象徴的な事案であり、また、田中議員と一緒に政治活動をさせていただたいたなかで、ずっと議論してきたテーマでもあります。
      退席の理由は、私なりに言葉を尽くしてこちらに表現したつもりです。
      これ以上は、文字ではお伝えすることは難しく、もしよろしければ、直接お話させていただけましたら幸甚です。
      どうぞよろしくお願いします。

  3. 内容的にはつぶやきなんだよなあ。ある面では中傷的でもあるしもう一方では寛容性にも欠けている。何もクビにすることではねえだんべえ。おらあ此の地で生まれ育って70年経つけどこんな話しを耳にしたことはねえ高麗川の若鮎のようにすがすがしく生きたいものだな

  4. ご存知の通り͡此の地は朝鮮の高麗の帰化人がスタートラインの土地柄、他方の地方の人達から下げ済まされて歴史が刻まれて来た関係上人間嫌いの人達が多くおります。高麗、高麗川、高萩がそろって日高になりました。旭ヶ丘周辺は北海道からの逆屯田でアイヌの種族の子孫もおられます。人間嫌いの種族でも終戦後はお互いに肩を摺り寄せて飢饉を乗り越えて戦後復興してやっとこさ岡村良太郎、大沢正雄町長それに今の市長のお父さんで谷ケ崎清二議員がおられた日高町→日高市へと移り変わりました。よく見ると次世代になっても朝鮮人特有の遺伝子は消すことは出来ません。対面して見れば帰化人の子孫は判ります。子供の頃に帰化人と間違えられていじめられた記憶も残っています。変形した幼年期を過ごした経験もあります。何故仲良く出来ないか不思議でたまりません。就職しても直ぐに解雇されてしまう

  5. 就職難、働き手がいない。人口減少。これは各自が住民が種をまいた業病。人間嫌いで直ぐに解雇をするから労働地を多方に求めて日高に就職しなくなったものです。その歴史が代々続いています。原因は亡命朝鮮王朝高麗の子孫に依る劣等感から来たものと拝察できます。学習センターで雇用斡旋などをやっているようですが文化を知ってしまっているから誰も就職を日高周辺に求めなくなっているのです

  6. 「何を云ったか」よりも重要なのは何ができるか。何をやったか。何をやることが出来たか。と云う事が重要ではないだろうか。若かりし頃に日高を離れて東京に就職して入寮生活を送った。久しぶりに帰郷して高麗川駅に降りた。 気持ちの良い帰郷のはずであったが一変してしまった。おばさま達の悪事を正当化する為に悪人に摩り替わってしまった。それも服装と噂だけで蔓延して悪人にされてしまった。因果の理法にのっとって時間が解決すると信じていたからである。きっといつかは解決すると信じていた。土地柄そういう世間なのである高麗川と云う所は一人減り、二人ヘリ減り三人減り時間の解決は待ったなしで時間が所要がかなりかかったが、悪評を流すほどのひまな時代ではなくなり今では一人も悪人にしてくれる人もいない。悪も転じて善人になりと云うことである。ただ怖いのは複数人が組んで徒党を組まれる事であった。高麗川区がほとんど敵の状態であった。なぜ高麗川区が四本木と云うか。本当の理由を知る人はおるめえ。歴史資料にも載ってはいない。口伝(口つたえ)で残されて来たのである

  7. まあ、5年や10年で高麗郷の王族環境を知れと云っても酷な話しだがワシでさえ͡此の土地で生まれ育ったがすべて全部を見聞き知ったわけではない。つまり習うより慣れる方が重要な気がする身ぐるみ掃いて王族文化を知ることは出来ないであろう先ず四本木を知る事である。つまり四本の柱で王族文化が成り立っている。表面上王族の子孫を知れと云っても酷な話しである。自分から王族の子孫だと名乗る者はいない。なれる事に依って理解がされて来るのである。それが「天下大将軍、地下女将軍」の意味である

  8. 此の日高市はふつうに暮らして行くには生活はしやすい。気候は温暖だし、空気はキレイだし、川の流れもせせらぎも景観も良い。だがあまり知り過ぎて猫のシッポを踏んずけたりライオンの尻尾をふんずけるような事があると一瞬に楽しさも破壊してしまう懸念がある。危険な場所に足を踏み入れただけで此の地にいられなくなってしまった駐在さんも数えきれない。その辺がまだ70歳を超えてもいまだに理解が出来ない。王族の子孫でさえも初代高麗若光王の意志に背いて歴代時代を暮らしていたが此の地を去り舞い戻って来られない王族の子孫もいると云う。全国には高麗王の子孫はたくさんいる。遺伝子に依る遺伝の形態の特徴は幾つかある。一目見ただけでも解る遺伝もあれば美容師、理容師にしかわからない物もあれば内科医、外科医にしかわからない遺伝もある。特にわからないのは。常会、集会、議会で論議などをしたときである。その際に会話中にモノのたとえだがライオンの尻尾を踏みつけるような談義をすると大きく傷跡を残してしまうのである多分お友達議員の批評hの原因はその辺に幾つか原因が伴っているような気がするのである

  9. 古来の巾着田は初代帰化人である。高麗王若光王が朝鮮より取り寄せた品種を改良して日本向きに作った苗を新作として収穫を行った実験水田である。曼殊沙華や放牧の為の水田ではない。川の水流を利用した高麗王独自の水田は幾つかある。水田に浸かる事に依って元の王位から解放されて一人の農民に成れたのを満喫していたと云う説も残されている。だからその後の子孫にも祭り上げないように云い残している。野々宮地区にある羽毛田と云う水田も実験水田であった。つまり大水、洪水で水が引けた土地に水田を設けた。干け田と云うのが(はけた)と云う水田である。楡木地区とも云う

  10. 高麗王の手掛けた農作物の作品はお米だけではない。練馬大根の先駆である「でえこん」も沢山出荷されていたのである。西暦670年頃であるので練馬大根とは云わなかったらしいが(でえこん)として伝えられているのである

  11. 今の日高市長は親も日高市の政治家。旧国鉄の手助けをされた大物議員であった。特に初代国鉄総裁の築いた国鉄を理解して産業開発に協力した。八高線高麗川列車事故では上鹿山地区で大きく負傷者の救護の任を務めた。大事故である。その子息であるから次世代市長として申し分がない。何処か魅力のある市長であるから草津温泉町の議員のように憧れは憧れとして胸に秘めて頭からかぶりつくような事があってはならない。草津温泉町のような事もなきにしも非ずである

  12. 初代の王様は一農民として原点に立ち返り平和な日々を送って満喫したが子孫で残された方々はそれでは気が済まなかった。異人扱いをされて迫害を受けたりいじめを受けた為に日々の生活が大きく乱れたと云う。それによって王様の意志に反して祭り上げて自分たちの立場を高揚させたと云う。つまり神仏化してしまった。王様は新羅に滅ぼされた立場であるから日本に来ても亡命者の立場で朝廷に仕えて農業に大きく貢献して功績を作ったのである。その後に途中迄の子孫は幕府に仕えたりして更に信頼を勝ち取った。その後、個性の強い子孫が現れて神仏化してしまったのである。四家の子孫は大きく乱れてしまったのである。「可愛いい子供には旅をさせろ」これが初代王様の考えであるそうだ。つまり可愛いい子供であればあるほど「高麗」の「姓」を名乗らせるな。が口癖だったと云う事であるそこに一つのヒントが生まれて来るのである。駒井、駒野、大野、高麗、である。井上は士族の武家で言えば老中職の姓である

  13. 井戸と云うのは庶民平民にとっては神様以上にたいせつなもの。その上にあるから井上である。つまり庶民の代表であったのが家来の一番弟子の家系である。つまり水面下の裏返し水面よりも上と云う事である

  14. 今までの村議会、町議会、市議会を通しても高名な事、有名な事、名前を遺すべき事こそ思い当たる事はなかったが町民や、市民が望んでいたことは水準に達していた。つまり議会議員はフルに活動していてくれたと云う事である。特にピークだった頃は中陳(なかぜ)議員や矢け崎清二議員(今の市長の血縁)が元気に活動していた。選挙拠点の事務所に頼みごとに行って快く引き受けてくれた。中でも新堀野口の高齢女性の宗教教団の女性だけは「調査しときます」でいつも終わらせてしまった。つまり着手もしなかったようである

  15. 対面してもホメる所も見あたらないコワオモテであったが大沢正雄町長。岡村良太郎。谷ケ崎清二氏は住民の為には良く動いてくれた。よく働いてくれた。あれ程動く議員は国会議員でもいない

  16. 携帯電話やスマフォの普及でネットワークでコミュニケーション普遍化を望んでいたはずである。何処をどう云うふうにか情報は浸透するが人と人との溶け合いがなくなって人間そのもののあるべき姿が失ってものぐさになってしまった。だから議会議員が動かなくなってしまった。働かなくなってしまった。民主化に依って女性議員が男性職場に進出してパワハラ、セクハラを取り上げて性被害をとりあげるようになったからである。健全化正常化された社会ではないのである

  17. 主観性だけを見つめるとまどか議員が行った行為はあってはならぬことである。だが「人間本来のあるべき姿と人間模様から受け止めると許せるものも見受けられる。それが人間らしさである

  18. 夜、夜中に子供が具合が悪くなって受け入れ先がない。議会議員宅に連絡すると夜中でも夜通し車で走ってくれる。議員が出られない時には手配をしてくれたり町長みずから走ってくれる。そんな有様の我が家でも長女は50歳。新潟に嫁いでいる。本人は何も覚えてくれてはいない。何もなかったように8万円もするダウンコートをねだっている。政治姿勢として今でも感謝を申し上げている

  19. 高麗王の家来の子孫の中にはマタギになった子孫も多いと聞く。マタギと云うと野蛮人のように思われるがそうではない。大自然と一体になって自然保護に務めた融合したポリシー定義を持っていたようである。絶滅危惧するような生物は懸念して捕獲はせずに保護を優先されたと云う徳川幕府の士族で言えば武士道のようなものだと云う。高麗王の本質がジェントルマンで通常モードもいるかいないかわからない程静かな人柄であったと云う。現代の朝鮮から見れば予想もつかない程静かなモードのようである。マタギも狩猟をしないときは爬虫類を捕獲して食べていたようである。朝廷の指示には従って儀式には欠かさず官服を着用して正装で参列して朝鮮の王様の服装をお披露目したようである。それ以外はまったくの農民としての暮らしであったと云う事である。

  20. 近代国家の原点とも云える高麗郷の新井橋、新堀橋の復旧はすすんでいるのであろうか。日本政府は国内を感染症蔓延させて病人だらけにしてどうするのだろうか。生母が生きておったら嘆き悲しむであろう。政界のドンとも云える人であった金丸氏も哀しむであろう

  21. 生母がなくなった語には政界の著名人が生家に政界の著名人が訪れて新井橋の古風と癒し風情(ふぜい)をお褒めの言葉を頂いた。生母は二人の子供を鉄道に戦前送り出した鉄道の母とも呼ばれていたからである。故次兄は谷ケ崎氏とも親友関係にあった。リニアモーターカー実験場(山梨県)の建設も計画よりも先に知る事も出来た

  22. 日高市の新井橋たもと付近には明治大学院聖いたる氏が隠居された住居がそのまま残されて廃墟になっている。御子息は皇居に勤めていたという事であるがその後の消息はわからない

  23. いつの頃からであろう



    いつの頃からであろう。町会議員、市会議員が横着になってものぐさになって、面倒くさがり屋さんになったのは?役場、市役所の職員も少なかれその傾向にある。サービスとは美言であって本当の意味のサービス精神奉仕の精神ではない。残念である

  24. 請求、納付通知書は二日も経たないうちに家庭に届けられるが医療費の高額医療費の還付金申請は3か月も経ってから通知書が届く。それから市役所に行って改めて申請となる。還付金である立替金が手元に届く迄には4か月以上になる。忘れた頃にやってくるのである。どうなっちゃっているのかな。行政はメチャクチャではないか

  25. 日本国の戦後復興の草案は4つの理念のもとに草案が結ばれたのである。質実合憲もそうだが。その前に他を律するものに与えられた①誠実②責任③機敏④奉仕である。これが戦後のGHQとの共通したふれ合い理念である

  26. あの時に、ものぐさで怠慢となるべき面倒くさがりやりたくない、やるのが嫌だと云う嫌がる理由付けの精神を叩く潰しておけば付和雷同このようなものぐさ社会にはならなかったのやも知れん。人並み以上に他人が持っているものを欲しがる欲求の。悪い精神が生まれて来なかったやも知れん。同時に民生委員なども「便宜上民生委員をやってはいるが職業が公務員なのでこれ以上は出来ない」などと云う怠慢でやりたくない業務を嫌がった。ああいう小さい所から怠慢を直すべきであったように思えるのである

  27. 少しでも仕事をやりたくない大義名分の合理化精神が悪の方向に導いてしまう。ここが重要なのである

  28. 仕事をやりたくない議員であれば最初から議員として立候補をしなければ良い。帳面ずらだけを数字を合わせるだけであればAIロボットだけで充分である。そこが読めない人が多いのである

  29. 吉本家の存在は中陳(なかぜ)さんや吉本先生が講道館四天王で柔道家、整復師以上に働いたから功績を残して存在感がある。谷ケ崎家も谷ケ崎誠二さんが街の議員以上に動いて功績を残したから存在感がある。駅前の洋品店や時計屋さんも旧国鉄(いまのJR)を高麗川に引き込むだけの力を発揮したから功績と存在感が残っているのである。材木商も然りである

  30. 「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」
    旧日高町の旧議員さんたちは高名ではなかったが、多大な功績を残したのである

  31. 日高市の住民は知らないだけで不遇の死を迎えられた未解決の事件の主人公初代旧国鉄の総裁は此の日高市に足を運ばれているのである

  32. 日高市は古風の街で古戦場があったり墓地寺院の多い所。三高の中央にあたる高麗川だけで二つも処刑場だった場所がある1つは日高陸橋付近ともう一つは市役所から郵便局の方向に進んで県道を超えて細を20メートル入った地点である。その為か洪水被害の多い街でもあった。水辺の地区は一瞬のうちに潰されて行くのである。その時の状況に依って小畔川などは整備されても一瞬で欠解されて取り壊されてしまうのである。道路には水が引けて生きた魚が取り残されて干からびてしまったこともあった。町会議員さんたちは走り回った。その為か処刑場は現代は形跡も見あたらない。つまり跡形も見つける事が出来なくなっている。旧町会議員の功績の賜物である

  33. 覚えているかい!高麗川の地で役場の場所が何度も変わっていまの市役所が南平沢に落ち着いた過程を。麦わら屋根の役場が高麗川小学校周囲にあって今のJA日高の木造庁舎に移って移動してそれから陸橋下の北側に移動した時が町名になっていた。それから現在の南平沢のJA日高の裏側に移動してやっと落ち着いたのである

  34. どうしても麦わら庁舎であった村役場の時代の流れを忘れて誠実さ、謙虚さを忘れて忘却すると崩壊期を迎えてしまう。それが人類の宿業なのやも知れない。つまり元のモクヤミになってガレキのやまとなってしまうのであろう。戦後復興の時のように人と人とのつながりも途絶えてしまうのである。此の地は昔から多人種の村である。米国人は僅かだったが大陸の東洋人の人種が多かった。朝鮮の帰化人は元より基盤として中国人、韓国人、北海道アイヌ民族の子孫、九州人、四国人、が多かったのである。あれはやだ。是は嫌だ。の選り好みが多い人達が多かったのである。それが戦後復興して呼吸を合わせて築いたまれにみる形態で街を支えて来たのである

  35. 駅前の商店街の店主たちは街の為に何ができるか競っていた。サービス券やら商品券を求めて代金はそっちのけ、つまり商業組合に還付が入るからである商店街が色つやが増すと自動的にその店の店頭が色ずいて潤うと云う事を知っていたのである。松月堂のオヤジなど何も買わなくても和菓子を試食させてくれた一枚十円のメンチカツなども10枚買うと50円ぐらいしか受け取らなかった事もあった。娘がお金を持たないで買いに行くとお金なしでも商品を渡してくれた。謝礼を兼ねて別商品を買いに行くから3倍返しになってしまった時もあった。活気に満ちていた。高麗川駅前だけではない。高萩駅前もしかりで大沢用品店などでは買わなくても良い物まで他のサービスで買ってしまったこともあった。みな商店主は街の為に何ができるかを考えて常会、集会を開いていたのである。現代でもそれらしき方々は沢山いる。だが外観と中身が違っている。報酬だけを目当てに外観が作られている。つまり理念なんてない。報酬だけの見返りだけである

  36. 子育ては細かい小さな苦しみこそ多かったが比較的楽しみで終わった生母の人徳の遺伝が娘に備わっていたのであろうか。物資には恵まれた。楽しみも沢山あった。取引業者から見返りを求められない贈り物も沢山届いた。一家で食べきれないほどの木箱入りのリンゴやミカンを定期的に届けられた海産物も豊富であった何に感謝をすべきであろう

  37. ワシの話しをまともに聞けない物は多い。でもそれでも良い。それはそれワシの名前は引導がわりである。反発心を持っても一向にかまわん

  38. 「訂正」
    物は多い→者は多い

  39. 日高の地域で生まれ育ち。見、聞きし確かめ経験を沢山させて頂いた。依ってワシの名前は引導替わり

  40. 埼玉医科大学の受付や時間外受付でどうにもならない事が高麗川駅前のあさひ食堂の御子息さんが一緒に出動するとどうにもならんことがどうにかなっちまった。そういうお世話になった人も沢山いる。だがもうそれも頼れない。市会議員と同じように住民の為になられた方である。医科大学の総務課に属していたからである。もう今世の人ではない。お世話になった方は数を知れないのである。薬を受け取る順番で少しでも電光掲示板に番号が出るのが遅いと頼み込む患者さんも少なくはなかった。だがもうあの方はいないのである

  41. 多少なりともシステムが変わってきているが夜間時間外で受付される場合や盆暮れ年末年始で休日をマタにかける場合は保証金を必要とされる。近年は救急で搬送される場合は状況を見て保証金が請求されない場合がある。つまり逃走したり勝手に帰宅されない状況の場合は退院が決まってから平日に会計決定される場合もあるようである。だが基本的には預かり金が必要と思っていた方が良い。救急で搬送される場合は準備金を用意できる余裕はない。そこで過去にはあさひ食堂の御子息に事情を話して保証金を一時支払いを保留してもらった住民も少なくなかったのである

  42. ひとのそれも他人の話しを聞けない耳の壊れた方々が町会議員になったり市会議員になっている現代。国政なども特に然り、混乱するのは当然である

  43. 聞き耳を立ててご自分の考えを膨らませて拡大させて拡散させる人も多くいる。だが人の話しをまともに聞こうとしない、人の話しを聞けない哀しい方々はもっと悪い人達である。ひとの話しを聞いて判断すると云う事は最もたいせつで重要な事である

  44. さすが近年は現代は丸の内線国会議事堂前駅に行っても通路にタバコの吸い殻をポイ捨てにするものは少ない。だが議員会館で喫煙ルールを守れない議員さんが目立つまことに以て残念の極み哀しい事である。これこそが人の話しを聞けない証拠でもある。「他を律する人に課せられた誠実」は何処へ行ってしまったのであろうか

  45. 他人がやったら駄目だけどおのれ俺自身はやっても良い。これがまかり通っている現代である。自戒と云うものが消えかかっている。それが「桜を見る会」であり「会食」である。いまはどういう時であるか状況が見分けられないのである

  46. 農民でクワだのカマだのマンノウだの農機しか持った事がない者がいったんでも刀を持つと振り回したくなる。歴代士族は刀に飽き飽きして茶の湯などに明け暮れして武士道に没頭する
    その一つが持った事のない権力の座を持つと使いたくなる。俺だけは良いと勘違いを起こすのである。企業も当然平社員から高位の部長職になったり役員になると俺だけは何をやってもいいんだと勘違いするのである。迷惑するのはいつも社員でいられる。平常心を維持した冷静な社員である

  47. ワシはいったんでも市役所職員と自治会長の謀(はか)り事で日高市を追い出された事がある。だからその問題点が何処にあるかばかりを見極めて来た。意地は人並みに持っている。だがそれを実行した張本人はもうこの世にはいない。在世ではないと云う事である。加担した職員はまだ市役所にいるようである。確認したことはない。

  48. ワシに塗布したいのちは肌身で感じる事が出来る。市役所の玄関を入ると感じる。つまりまだあの当時の職員がいると云う事が暗示される。特に別な職員に名前を聞いて尋ねる程でもない。だから未確認なのである

  49. あの時に住居不法侵入で告訴しとけばよかったのかなと思う時もある。だがそれをすると多くの人をも検挙者が続出するのでとどまった。つまり市条例が勝つか刑事訴訟法が勝つかとうっぜん刑事訴訟法が優先されるのである。だが黙っていてもちょくせつ手を汚さなくても自然の法理で処断されてしまったと云う事を日高市に戻って再住民登録した時に知る事に至ったのである

  50. あの件に関わりたずさわった人達はワシと直接的に中の良かった人達も同時に処断されている。だから市職員も決して良い事は起きていない事を確信できるのである

  51. 若気の至りの時は「天網恢恢疎にして漏らさず」などと云う事は全くを以て信じなかったがウイルス感染症をも交えて今では信じるに至る。つまり原因と結果の云う社会だと信じるを得ないのである。因行あれば果徳ありである

  52. 一家がメチャクチャになっても家族をバラバラにされて引き裂かれてもメチャクチャにされても守り抜いたその先にはあと何が待ち構えているのであろうか。楽しみでもある。ただ一つだけ云える事はワシの名前はワシの物であり同時にワシひとりの物ではないと云う事が遠い記憶と天性で感じ取ることが出来るのである。それがワシの名前は引導がわりである。幼い時に野々宮のケッカチ岩(大石)と今世に産まれ出でたる使命である。幼い頃に「大王の松」とか「大石」と呼ばれた記憶が思い起こされるのである

  53. 野々宮の河川のケッカチ岩はある事に依って災いが起きていたわけではない。かつては子供たちの遊び場として使われていたものである。それを何処をどのように勘違いをしたか役場と建設省が協議して予算を組んでダイナマイトを使って爆破して砕きいまは台座しか残っていないそれも三分の一しかのこってはいない。2019年に発生した台風で橋(通称ガタガタ橋)も流されてしまって未だに復旧されているかどうか定かではない。その新井橋の直ぐ下手にケッカチ岩の台座がわずかに残っているのである。かつては子供たちにとっては幸せをもたらす遊び場の岩であったのである。それを何処をどのように勘違いしたのかわからん

  54. 行政上個人の考えで議会にかけてやってはいけない事をことごとく時代を変えてやりつくしてきたそれが現代である。だから悪い結果が出るのも現代である

  55. 高麗川駅から八王子方向に約500メートル走った所に列車事故の大惨事が起こってしまった場所がある。JR東日本では昼夜繊細に検査してメンテナンスが行われて繰り返されている多くの庶民の命を呑み込んで流血した場所である。科学では割り切れない人の命が染みついている生きている線路であるからである。かつては蒸気機関車の運転士さんが通過するたびに合奏していたと云う。今でもJRの電車の運転士さんの個人差に依っては合掌して通過する運転士さんも多いと云うことである。つまり線路が生きていると云うことである

  56. 日高市議会が幸運に恵まれていたのは日本セメントの経営があった時だけである。不動尊で言えば一代しんしょうである。つまり一代だけである。罪業が上積みになっているのである。粘土山も黄金の山であったが今は枯れ木の山であるかつては日高アリーナのあった農地も農協の盛んなときは野菜の宝庫として集荷され住民を潤わせてくれた。政府政策の農地改革に依っ日高アリーナが建てられた興業などを行ってもうまくいくはずがない。

  57. 日高市を良くしたい改革の精神があるのであれば先ず操業の精神に立ち返るべきである。国などは地方交付税などが地方に配布があってもそれなりにしか行われない市独自が初心に立ち返るしかない。つまり自分の家は自分で守るのである。養蚕が盛んであった時代の初心に戻って住民サービスに努める事である

  58. 大戦の戦後復興でこの街も空襲で被害をもたらしたようだ。だが表面上は貧しくても衣食住には事かからない住民が多かったと云う。一人一人が力を持っていたから自給自足でも事欠かなかったようである水村医院の御先祖が村長をやっていたから力をもっていたのである。駐在所の巡査も役に立たないと此の地から追い出されてしまったと云う事を耳にしている。今でも旧屋敷は多少の形跡を残している

  59. 水村村長は絶えず住民の生活を見つめていたと云う。住民が豊かになれば黙っていてもご自身が豊かになれると云う方程式を冷静に見つめていたのである。つまり公衆衛生の鏡のような事である。最終的におのれに跳ね返って来るからである。だからご自宅の裏に消防団の半鐘をつけさせた。そして警察の警ら箱も付けさせた。管理が行き届くからである。村民全体が認める程ご自分の尻ぬぐいが出来る村長であったと云う事である。従って不必要な市会議員が田中まどか氏ではない。無責任な議員である。それを見聞する所に意義があるのである。最も議員として必要な議員は尻ぬぐいの出来る議員である。もしも今のような感染症が蔓延したら我が事のように働くのが水村村長のような人である
    水村村長は高麗川村の誇りである。いや日高市の誇りかも知れない。民営化などは無責任極まりない政策である。トカゲの尻尾斬りにすぎないのである

  60. 水村村長のエピソードはたくさん数ある中でも有名なのは御自宅の庭でついた餅を消防署が無い時代であったが消防団の会合集会場所に座敷にのしもちとして重ねてあった餅を切り餅にしてカマス(ワラや麻で作った袋)に入れて運んで行って「食い盛りで足りねえだんべえ県土と云って沢山の餅を差し入れたり、俵にサツマイモをはちきれんばかりに入れて青年団をもてなしたと云う。そして当時は高麗川区とは云わなかったが野々宮にも四本木部落にも差し入れしたと云う。天野先生や横川先生たちと話し合って別な理由をつけてお断りしたのだが慣例だと云ってやめなかったと云う事である。悔しくても現代ではいないであろう。こうゆう人物は。

  61. 松尾迷家日高市会議員からメルマガが中々届かないのでいつもの、何処にでもいるものぐさ議員かと思っていましたが受信箱をのぞいてみたら御案内とメルマガがちゃんと届いていました。ではワシのツイッターのアカウントをお教えしますので暇があったら覗いてみてください。入り口窓はDessertcuteです。ヨロシクお願いします。♩そっと覗いてみてごらん。そっと覗いてみてごらんみんなでお遊戯しているよー♪
    コメンテーターはおもに米国人政治家が多いですョ

  62. カフェ日月堂って新井竹工芸があったところの手前かな?釣りができる場所入り口の。だとしたら旧友がたくさんいる。福村材木のかなり先?昔は武蔵台から直で降りてゆくところがあったが今はなくなってしまった

  63. MichelVille.chamder.Dessertcuteがツイッターのニックネームです

  64. ワシのツイッターアカウントページにリツイート拡散しましたよー

  65. 高麗川郵便局でATM使用の際にATM入り口の外に列を作って並んでいるのに次の順番の人が番が来て中に入ろうとしたら婆さんが店側からATM側に滑り込んできて割り込みATMに障害が発生してしまった結局は店内の窓口に逆戻り。最初から窓口対応しておれば問題はなかったのである。窓口で待っていられないからってATM側で列を作っている人達に迷惑をかけて良いと云うものでもない

  66. 政治家が政治を覚えずにずるい事だけを先に覚えてしまった議会だから改革など出来る訳がない。つまり古い家を取り壊して近代建築にして行けば正常に政治が改革が行われているかのように思わせるガセ(ニセモノ)改革で良くなるはずがないのである

  67. やっちんなども親が政治家で背中を見て育って政治家をやっている。親のズルさの背中を見て育った。御自宅の選挙事務所が北向きに玄関が作られていることも知らない議会では議事用に作られた議案を壇上で奉読しているだけである。ズルい事が先行した政治では国が良くなるはずがない

  68. 親が生前に知恵伊豆と呼ばれる地元の居城城主である松平伊豆守信綱公にちなんで御自宅の邸宅であり選挙事務所を大手門に向けて玄関を作った。それさえも理解されていない。政党だけは親とは違う政党で活躍している。だが政治では政治の何たるかを理解できていないから当然議会の壇上で議会用に作られた文章を読んでいるだけである

  69. 故戸田馨子(元女優、新珠美千代)さんは学会員の勧誘で学会員になったようである。すなわちワシのアソシエーション的存在であった。国会議事堂に行く時も議員会館に行く時もいつも寄り添ってくれた。つまりやっちんの叔母にあたる。長い間仕事の合間を見ては服従してくれた。一歩控えめな性質である。政治の事は興味が無いようであったが概ね理解しているようであった。やっちんの父親とのつなぎをとってくれた。郵政次官の時だっただろうか。だから少なくともやっちんよりは政治には理解している。西郵便局定礎の時も来てくれた。月吉陸橋の前の方である。富士山がよく見える場所でもある.同じ映画俳優なのに故力也氏と付き合うのを反対されたなあ。埼玉人の同郷じんなのでその点では狭間に立たされた力也氏は行田出身で映画俳優になる前から友人であった

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