前回の記事に続き、議案、「国会における憲法論議の推進と国民的議論の換気を求める意見書」についてご報告します。
本案に対し、採決で私は賛成し、賛成14、反対2で可決されました。
意見書の本文
日本国憲法は、昭和22年5月3日の施行以来、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則の下、わが国の発展に大きな役割を果たしてきた。この三原則は、憲法の根幹をなすものであり、今後も堅持されなければならない。
一方、現憲法は今日に至るまでの70年を超える間、一度の改正も行われておらず、この間、我が国を巡る内外の諸情勢に大きな変化が生じていることに鑑みれば、憲法についても直面する諸課題から国民の安全を確保し、福祉の向上を図る内容であることが求められる。
このような状況の中、平成19年に「日本国憲法の改正手続に関する法律」が成立したことに伴い、国会に憲法審査会が設置され、憲法第96条に定める改正の為の国民投票が可能となったところであるが、議論が進展しているとは言いがたい状況にある。
憲法は国家の基本規定であり、その内容については、国会はもちろんのこと主権者である国民が幅広く議論し、その結果が反映されるべきである。
よって、国においては日本国憲法について、国会において活発かつ広範な論議を推進するとともに、国民的議論を喚起するよう強く求める。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
皆さん、どんなふうにお感じになりますか?
憲法改正の議論について、私としては、現時点で示されている改憲草案には多くの問題があると考えています。
国会において、特定の党派がある種強引に進め、国民も理解が不十分のまま国民投票…ということは避けなければなりません。
一方で、日本社会が色んな意味で行き詰っている今、国民が憲法に関心を持ち、私達が本来、本当に大切にしたい価値観は何なのか、きちんと議論することはとても大切なことです。
だからこそ、昨年は憲法に関する勉強会(憲法カフェ)も3回にわたり開催しました。
国民が憲法についての認識を深めるには、こうした場の積み重ねが必要ですし、時間がかかるものです。
従って、「今は改憲よりコロナ対策が先である」というように、全然次元の違うテーマの緊急性で比較し、憲法の議論を避けようとする論も、おかしな話だとは思います。
本意見書の提出者である金子議員には、趣旨を事前に確認しましたが、日高市議会として、改憲/護憲というように見解をまとめたいわけではなく、もっと憲法について議論を深めるべきという立場でのご提案とのことでした。
日高市議会のそれぞれの議員が、憲法について各々異なる見解を持っているのは当然のことであり、そのいずれかの見解を支持するものではなく、憲法について国会でも国民の間でも、もっと議論すべきという趣旨とのこと。
そして、あくまで国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則は今後も堅持していくべきとのこと。
その意味においては、私もまったく同感です。
そこで、議場において正式にその趣旨を確認したく、以下の質疑をしました。
本会議での質疑
本意見書案の趣旨について確認させていただきたく、お伺いします。
憲法は、言うまでもなく、一度制定したら未来永劫変えてはいけないものではありません。
他国に多く見られるように、どんなに素晴らしい憲法であれ、時代状況に合わせ、必要であれば変えていくものと考えます。
もちろん、その過程においては熟議の上に熟議を重ねる必要があります。
国民が平素から憲法に関心を持ち、国会において、国民を置き去りにしないよう、丁寧に分かりやすく、議論が重ねられるべきです。
しかしながら、昨今の憲法改正に関する議論は、政党やイデオロギーといった「立場」からの、「べき論」のぶつけ合いになっていて、憲法の個々の条項に対する是々非々の議論は、なかなか深まっていないように感じます。
本意見書の趣旨は、そのような、憲法改正をすべき/すべきでない、といった二項対立的な主張や、早々に国民投票をすべきといった拙速な判断を求めるものではなく、あくまで、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則を堅持しつつ、日本にとってのあるべき憲法について、議論を深めるべき、というものと理解していますが、そのような認識でよろしいでしょうか。
お答えいたします。いま松尾議員がおっしゃった通り、これは、あくまでも憲法の中身について国民の意見を聴くのであって、やはり憲法に関して、国民の意見をもっともっと聴くように、国に求めるものであります。
この答弁をもって、採決では賛成しました。
この機会に、以下に、改憲の議論についてそもそも感じていることを書いてみたいと思います。
憲法改正について思うこと
現行の日本国憲法は、ご存知の通り、戦後すぐに制定され、戦災からの復興を目指す新しい日本のあるべき姿を明文化したものです。
戦後まもなく始まった東西冷戦の狭間の中で、日本が経済に注力して高度経済成長を達成し、海外からも信頼される国になることができた理由の一つには、平和憲法とも言われるこの憲法の存在があったと言って良いと思います。
しかしながら、高度経済成長が終わって久しく、もはや「失われた30年」と言われるようになりました。
さて、ここで言う「失われた」とは何を指しているのでしょうか。
「失われた」と言うからには、「取り戻したい」何かがあるはずです。
それは、30年前のような、経済成長の極みに達し、物とお金が溢れた社会のことなのでしょうか。
私はこれまでの人生の大半を「失われた」社会の中で過ごしているので、その社会のことはテレビ映像としてしか知らず、あまり実感がありません。
そのような社会に日本が戻って欲しいと思うか、というと、少なくとも私は戻ってほしくはありません。
これほどまでに地球環境問題が深刻化するなか、経済が低迷しながらも物が溢れている今の日本を、もう一度あのような高度経済成長の波に乗せたいとは思えないのです。
では、私達日本人はこれから何を目指して成長していくべきなのか??
これからの日本が目指すべき、新しい社会システムのデザインが必要です。
そして、現行の日本国憲法が、戦後の復興を目指す一つの道しるべとして機能していたとすれば、これからの日本社会には、別の道しるべがあっても良いと考えています。
現憲法が、戦争の根絶を目指した平和憲法として知られ、結果として日本は経済発展を享受しましたが、一方で、国家間の経済格差は未だに多くの悲劇を生み、また戦争の原因ともなっています。
20世紀初頭には、人類は戦争によって滅びると言われていました。
21世紀に入り、人類は環境破壊によって滅びると言われています。
「神の見えざる手」が機能しないことはもはや自明のこととなりました。
そこで私達は、平和憲法を超えて、さらに、自然環境の保全と、人類の豊かさの享受を両立させるための、強い指針が必要なのではないでしょうか。
新しい憲法として、自然との調和、そして経済における新たな理想を掲げても良いのではないでしょうか。
憲法をただ墨守するのではなく、また、近視眼的な問題に対処するために変えるのでもなく、どんな日本社会を目指したいのか、それを憲法として明文化することは、大いに意義のあることと考えます。
今の政治の状況で、このような議論ができるかというと、難しいかもしれません。
しかし、これから日本は何を理想とし、目指していくのか、それを見失っている今、少なくとも私達一人ひとりが、考えを深め、よくよく議論していくことが重要なことに、間違えはないでしょう。
ますます、地方行政の意義が問われているとも言えます。
私自身も引き続き、考えていきたいと思います。
皆さま、お声をお寄せください。