昨日3/25の文化新聞(←飯能日高の地元紙です)に掲載された、田中まどか議員への議員辞職勧告決議についてです。
日高市議会最終日3/17の本会議において、吉本議員が提出した議案、「田中まどか議員に対する議員辞職勧告決議について」が、賛成多数で可決されました。
田中議員のフェイスブック等における情報発信が、「日高市ソーシャルメディアの利用に関するガイドライン」に違反しており、このような発言を繰り返す田中議員には議員としての資質に欠ける、したがって辞職を勧告するというものです。
今回、この動議が提出されるきっかけとなったのは、田中議員の予算審議を終えての投稿、
私の隣の席の議員は予算書すらめくらず、私が質疑すると『早く終わらせてくれよ』と言うのでした。10時から3時近くまで何もせずに座っているのは、それはお辛いことでしょう。
https://www.facebook.com/madoka.tanaka.140/posts/2054454571367400
と、ある議員を批判した記事でした。
私は、この議員辞職勧告議案について、採決では退席(賛成/反対はせず、議決権を放棄すること)しました。本件に対する、私の考えをここに述べたいと思います。
議員の情報発信の在り方については各議員様々に考えをお持ちだと思います。これが正解というものは当然ありません。
従って、あくまで私個人の考えではありますが、私は、議員個人の「姿勢」に対する非難になりうるような情報発信は、極力すべきでないと考えています。
第一に、「姿勢」というのは、きわめて主観的なものです。
ある一場面における議員の振る舞いが、たとえ自分の信条とは相容れないものに見えたとしても、それを理由に非難することは良いことなのでしょうか。
それぞれ、一側面からは捉えられない様々な考えがあり、それは他者が把握できるものではないはずです。
それでも批判が必要と考えることもあるかもしれません。
その場合は、熟慮の末の、節度ある表現であってほしいと感じます。
市民の付託を受けた議員としての尊厳は、互いに尊重し合いたいものです。
第二に、批判・改善すべきは、議会の構造・ルールだと思うのです。
例えば、これまで問題となってきた田中議員の情報発信の多くは、議会(委員会)において質疑をする議員が少ないといった非難です。
では、なぜ少ないのか。
その理由を、議員個人の姿勢に求めるのは、私は適切だとは思いません。
多くの議案は、議会の場で否決されてしまっては、市政に大きな混乱が生じます。
そうならないよう、議会に出された段階では、既に庁内や議員はじめ、多方面の調整・決裁を経て来ているのです。
自分が特にこだわりのある分野の議案に対しては、質問の形を取った意見表明をすることもありますが、議会にかけられた段階では、実質的にはもう遅い場合がほとんどです。
私も一般企業に勤めていた頃は議案を提出する側でもあったので、これは当然のこととして理解できます。
議員として行政を動かすためには、(基本的には)議会にかかる前が勝負です。
ですので、特に力を入れて取り組んできた事案ほど、議会の場では今さら質問することはない、ということが多いです。
そういう背景が、議会で質疑や討論が少なくなる理由の一つだとは思います。
もちろん、だからといって、議員はただ黙々と賛成すればよい、と言っているわけでは全くありません。
議会の前段階のやりとりは、市民には見えませんし、記録にも残らないので、あえて質問しておくという考え方もあるでしょう。
また、議会を市民に見せる場とするのであれば、そういった視点で「開かれた議会」として市民が見て分かりやすいように、議会運営の見直しが必要です。
この点は、多くの古い体質の企業が業務改革をしているように、議会も議会改革を進めて解決すべきです。
話を元に戻すと、議員として、批判し変えていこうとするべき矛先は、こういった議会の構造やルールであり、議員ではないと思うのです。
問題提起されている一連の情報発信が、辞職勧告をするような事態かというと、疑問は残ります。今回の決議文には、違和感のある記載もあります。
ただ、これまで私自身が目にしてきた田中議員の発信や議会での言動を鑑みると、提議した方々の心情も理解できなくはありません。
何より思うのは、こうして議員間の分断が進んでしまうと、議員間で本来行うべき本質的な政策の議論がなされにくい議会になってしまうということです。
それは、市民の利益になるのでしょうか。
この分断は、日高市議会において既に10年超に及んでいると聞いています。
もう止めにしたいと思っています。
地方議会は、与党・野党の別はなく、16議席が1チームとなり行政を監視するというものです。
対立ではなく対話からでしか、議会機能は果たせません。
これは田中議員とも話し合ってきたことであり、私が彼女と会派を解散し、一人会派となった理由でもあります。
全ての議員同士が、健全に議論を戦わせられる関係性を築いていけるよう、今後も努力していきたいです。
以上の観点から、本議案は、退席とさせていただきました。
最後になりますが、作家の玄侑宗久さんが「表現は常に行き過ぎる」と言っていました。
現実は常に複雑であるのを、分かりやすくシンプルにするために、事象をそぎ落とし、なるべく明確な物言いをしようとする、すると時にはそれが行き過ぎて、本人の意図を超えた表現になることもあるということだと思います。
このブログも、「行き過ぎた」表現になっていないか、自問自答しながら書いていますが、正直自信はありません。
今後も自分への戒めにしたいと思います。
関連記事↓